チヒロの部屋

商学部の学生です。

文学から考える自己肯定感

 

こんにちは、この前のゼミでは小説フランケンシュタインをもとに文学について考えてみました。

フランケンシュタインってよくハロウィーンやアニメに出てくる奴って思うと思いますが原作は全然違ったりします。

私たちが思っていたフランケンシュタインは実は怪物という名であり、怪物を作り出した張本人の名がフランケンシュタイン(ヴィクター)です。

知らなかったよね。。。しかも某アニメのようにうめき声あげてないし、ちゃんと言語学習して話したりするからすごく頭もいいのです。

 独学だしすごいや

 

 

 

余談はそこまでにして本題いきますね

 

本題は小説フランケンシュタインをそれぞれの視点から読んでみて二人の関係性を考えてみる。「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」、「自己肯定感はどうすれば実感できるのか」について自分なりの考えをまとめていこう!です

問いめちゃめちゃムズイけどがんばるぞ

 

それぞれの視点なのですが、まず本書における大きな登場人物について整理したいと思います。

 

ヴィクター.・フランケンシュタイン⇒興味本位で怪物を作ってしまった主人公

怪物⇒ヴィクターが作り出した生き物

 

ヴィクターは醜い怪物を作り出してしまったことに後悔し、怪物は周りから恐れられ愛情を一切貰うことなくどんどん心情が変化していくお話です。(めっちゃネタバレーーッ!)

 

で、視点は

 

1.創造主と非創造主

2.親と子

3.神と人間

 

え~~~むず!い!

 このみっつ、似ているようで結構ちがうなぁと考えている途中に思いました。

創造主と非創造主は言葉通りだと思いましたが、親と子...親は子に対して責任を持つことも親の意味に含まれるのではないのかな。と思いました。神と人間については神は人間に対して責任は持たないけど自分の中では人間は神には遠く及べないのではないか、と思っていて(個人の意見なので深堀りしないでください~!汗)ヴィクターは怪物を作ったら作ったで怪物に対して理不尽な逆ギレをして作ったという事実や責任から逃げようとしているし、怪物は怪物で作り主でいわば神の存在であるヴィクターに対して最初は我が主とか言ってたけど最終的には脅しているしヴィクターにとって脅威そのものになって立場がずれていると思ったので2と3の関係性でみることができませんでした。とほほ

 

本をよんで思った二人の関係性ですが、お互い創造主と非創造主の立場であり、作ったり、作った本人に会うという行動の本位は興味から始まっていてそこから最終的に相手しか眼中にない復讐心でいっぱいになって終わっているところが共通していてすごく印象的でした。

復讐するために生きているという感じがすごく伝わってきて復讐心自体のエネルギーの大きさと支配力の強さがすごいなと率直に感じました。

 

あとヴィクターにとって怪物はただ単純に醜い汚らわしいものだけではなく自身が犯した罪そのものでもあるのかもしれないと思いました。自分が犯した罪(怪物)が周りの人々を惨殺していくなんて私だったら普通に耐えきれないや。

でも自分が作った怪物のことをずっと誰にも話さなかったところに隠せるものなら隠しておきたい、みんなに知られたくないというエゴが人間のきたない部分を表していてより人間らしく感じました。 

 

 

次に問いについて考えていこうと思います。

 

・「人間(クローン人間)を作り出すことについての是非」 

最初に見てめちゃこわいな。と思いました。クローン人間も怪物と同様人間の勝手なエゴで作られるのではと思いました。薬の実験体とか戦争地域など危険な場所に配置されるとか。。

怪物は見た目でみんなから不当な扱いを受けていましたがクローン人間ができたら存在だけで人間と違う扱いや差別をされる可能性も出てくるのではないのか。クローン人間のように勝手に作ることができたら命の重さも人間と同じなのに軽く扱われそうな気がして、ただヴィクターのように科学の進化の興味から作り出すことは絶対にやめてほしいと思いました。

 

 

・「自己肯定感はどうすれば実感できるのか」

まずについて調べてみました。

自己肯定感とは自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。

 何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態が土台となります。

 

 

自分は友達と話しているときが一番自己肯定感を感じるのですが感じ方って人それぞれ違うと思います。バイトで頼りにされている、とか

SNSは自己肯定感の実感に私はあんまりつながりませんでした。時々自分の満足のいくような絵が描けたとき最初はこんな絵描ける自分天才では⁉⁉なかろうか⁉⁉⁉と自分を盛り上げるのですがツイッターで流れてくる絵を見ては鼓舞で膨らんだ自信の風船がシューン...としぼんでしまう事とか以前よくありました。

他人の絵と比べても意味ないのにね(笑)SNSにのめりこみすぎるといいねとかフォロワーの数とかだけで自分の存在を見られている感じになりそうなのでSNSはただのツールとして扱うようにしています。

 

自己肯定感が低くなると気にしなくてもいいことに対しても気にしてしまうし、適切な判断ができなくなるので自ら自己肯定感を高い基準に定めておくよう意識しておくことが大事なのかな。

 

 

次回は続きを書きたいと思います。